戦時中、戦後の混乱

 


戦争が始まると生活物資の統制が行われるようになり、京都削節工業統制組合が設立されました。明一郎、龍介は組合の責任者として運営に専念せざるを得なくなり、店は事実上の休業状態となりました。

戦後の混乱期には皆が生きていくだけで必死であり、食べるものなら何でも売れた時代ですが、その売るものがありません。店を再開したものの、わずかばかりの海草やよもぎを加工し、小麦の製粉を時々請け負ったりしてしのいでいました。

ダシの粉を統制品の鰹と間違えられて警察に引っ張られたこともありましたが、やがて戦地から店員たちが帰還し、統制が徐々に解かれ、戦後の復興を感じられるようになりました。