京都での営業活動・だし昆布も商品に

当時削り節の業界は、既存の乾物店ががっちりとシェアを握っており、保守的な京都で新参者が食い込んでいくには時間を必要としました。特に力を入れたのは販路の拡大で、提灯さえ下がっていればどんな小さなうどん屋であっても、一生懸命売り込んでいきました。

その後、龍助が北海道まで出向いて利尻昆布を産地から直接に仕入れるルートを確立したことによって、ダシ昆布も取扱商品に加えました。 オート三輪車もさらに購入し、それまで運送店に依頼していた遠隔地の配達も自社で行うようになりました。これで迅速な対応ができるようになり、得意先からも喜んでもらえました。



鰹節削り器が初めて誕生したのは大正末期のことで、写真は鳥羽式と呼ばれるものです。
(真中が前会長・龍助)